「最後は知識で……」国語はどこで差がつくのか
こんばんは、中の人(@mAjorstep_jp)です。今まで英語や第二外国語(私はフランス語でした)を学習する際には、文字から学んでいました。文章を文法にしたがって単語を並べて書いての繰り返しです。今回アプリを使って音声メインで韓国語の学習を進めています。一応文字も補助的に使われているので、音声で理解し問題を解くなかで段々と文字が当てはめられていくようになりました。便利な世の中になったものです。
さて、前回は続きが気になる形で終えた「共通テスト芸術論、読み応えアリ」の記事の続編です。
今回は振り返る価値あり
中の人(以下(中)):根岸先生は、例年ですと共通テストは振り返らないように受験生に声をかけるようにしているそうですが、今年は違うとおっしゃいました。どこが違うとお考えなのか、詳しくお聞かせください。
根岸先生(以下(ね)):今回の評論文(桜井あすみ氏の「『贈与』としての美術・ABR」)を読んで「これは解説したくなる文章だな」と強く思いましたね。これから難関大を目指す受験生にとって、この文章をガッツリ解説することには十分意味があります。むしろ、今回の評論を読んで難しいと感じた生徒ほど、ここを基点に学習を進めてほしいですね。
(中):基点、というと?
(ね):この評論を起点にして、芸術論、民俗学、思想史、資本主義批判といった隣接分野をまとめて講義するのがいいのではないでしょうか。確認テストをしても効果的だと思いますよ。
なぜならば、定番テーマが目白押しなんです。ここを押さえておけば、早稲田や難関国公立が好む難しい文章に対応できる土台ができます。
(中):共通テストが終わったら忘れて次へ、という先生も多いと思いますが、そうではないと。
(ね):前回お話しした通り、私も基本的にはそのタイプですよ。終わったものをいつまでも引きずらないで次に向けて勉強したほうがいいです。
(中):くよくよしていても学習効果は上がらないですよね。終わったことよりも次に目を向けてほしいというエールを送っていたのですね。
(ね):はい。ただ、今回ばかりは振り返ってもいい。そう思わせる文章でした。
素材を見る目を養う
(中):評論に続いて小説についても伺います。小説は21年ぶりに遠藤周作でした。
(ね):個人的な好みを言えば、2005年のセンター試験で遠藤周作の作品を授業で解説したことがあるのですが、正直そこまでおもしろいとは思えませんでしたね。ただ、今回の作品は、テスト素材としては非常によくできていると思いました。心情表現が豊かで、問うべき箇所にきっちりと傍線が引けるんですよね。
(中):「テスト素材としては」という表現に何か含みを感じますが、限定的な表現にしたのには何か理由がありますか?