「この大学は良問が多い」それってほんと?
こんばんは、中の人(@mAjorstep_jp)です。記録的な長雨でしたね。久しぶりの晴れ間にお天道様のありがたみを実感しました。
前回の記事では、学習方略の原則について根岸先生に語っていただきました。
「問題が悪い」と生徒の実力不足を問題のせいにした場合どうする?、という話から派生した内容が大変興味深いものでしたのでニュースレター会員の皆さんとシェアします。
(根岸先生節が炸裂していました)
前回の記事はこちら
……本文のサマリー……
入試問題を「良問」「悪問」と評価するとき、知らず知らずのうちに大学の偏差値や知名度を基準にしていないだろうか。問題そのものの質と大学の難易度は、本来別のものである。大切なのは、本文や設問、選択肢から「何を答えさせようとしているのか」が読み取れるか、正解に至る根拠が問題の中に用意されているかを具体的に分析すること。問題を評価する視点は、そのまま生徒が入試問題を教材として活用するための視点にもつながる。今回は、入試問題の「良し悪し」を大学名や偏差値から切り離して考えるための方法を整理する。
こんばんは、根岸です。
良問ってそもそもなんですか? という疑問が私にはあります。
「この大学の問題は良問だ」
「この大学は悪問が多い」
入試問題について、こうした評価を耳にすることがあります。では、そもそも「良い問題」とは、どのような問題なのでしょうか。
偏差値を内面化していないか
最近、赤青のYouTuberが炎上していましたね。福島の話は本当にまずいと思いましたが、それ以外でもたびたび炎上しているようです。
学歴を気にしていない、という先生多いと思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
入試問題においても果たして同じように言えるでしょうか?
「東大の問題はいい問題だ」、「さすが日本トップの大学だ」と、称賛されることがありますが、問題を実際に見てみれば、「ちゃんとしてるよね」というのが私の印象です。
京大についても同じです。
逆に、地方の大学や公立大学の問題の中にも、受験生に何を考えさせたいのかが明確で、よく練られた問題はあります。
一方、「九州大学の問題はゲフンゲフン」ということも、九大の評価とは別に問題そのものへの評価という意味では言われることがあります。
問題提起したいのは、問題の質を偏差値で判断できるのか? という視点です。
入試問題を評価するとき、つい大学の難易度や偏差値を基準にしてしまうことがあります。難関大学の問題なら「良い問題」と考えてしまう。
しかし、問題そのものの質と大学の偏差値は、本来別のものです。
問題を見るときに、「どこの大学の問題なのか」という情報をいったん外してみる。そうすると、これまでとは違った評価ができるかもしれません。
これは教師にとっても簡単なことではありません。
根岸は受験指導を生業にしているので、大学の偏差値を意識せざるを得ない場面が多くあります。
私は偏差値を内面化している自覚があります。
例えば、第一志望・第二志望以外の大学を受験する際には、「このくらいの偏差値の大学を押さえておこう」と考えることもあるでしょう。
自分自身も偏差値で大学を見てしまう。そのことを自覚したうえで、偏差値だけを基準にしてしまわないように意識しています。
問題を見るときには、大学名や難易度とは別に、「この問題は何を答えさせようとしているのか」という視点を持つことが大切になります。
良問とは「難しい問題」ではない
そもそも、私は良問なんてないんだ、というスタンスです。先生たち一生懸命検討して作った問題に良し悪しなんてあるはずがありません。だから「良問」、「悪問」という表現はしっくりこない。
でも、世間一般では「良問」「悪問」と言われる。
でもそれって、大体好き嫌いじゃないですか?
もし世の中に「良問」「悪問」があるとしたら、
